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映画 虐殺器官 思考は言葉によって規定されない

 映画 虐殺器官は今年の2月から公開されました。もともとはイトウプロジェクトの第1弾として2年くらい前に公開される予定でした。しかし、制作会社の倒産により一時期、制作が中断されて新しくできた制作会社が受け継ぎ、制作を再開、そして公開に至るという大変な道を歩んできた作品です。

   主人公がクラヴィス・シェパード。アメリカの軍人で彼はテロ対策部門に所属しています。彼の仕事は虐殺や紛争が起きている国に向かい、潜入をし、虐殺や紛争を引き起こした人物を暗殺することでした。この世界観のアメリカは9.11の影響によりプライバシーの管理が厳しい国になっています。テロに怯えなくて済む引き換えに自由やプライバシーを差し出しています。その一方で発展途上国と見られる国では次々と虐殺が引き起こされているのです。

 この虐殺を引き起こしているのがジョン・ポール。彼はもともと言語学者であった。しかし、ドイツのホロコーストを引き起こしたヒトラー時代のメディアを調べていた所、彼はある文法を見つけたのです。それこそが虐殺を引き起こす虐殺の文法だったのです。彼はこれを利用して虐殺を引き起こしていた。

 アメリカといった先進国ではピザが食べたい時、ピザをたらふく食べて残したまま捨てることができる。Amazonで注文したい時、いつでも頼めことができることが当たり前であり平和の象徴であり、人々が守りたいと同時にジョン・ポールが守りたいものであった。その為、アメリカといった先進国にテロリストから目を逸らさせる目的でテロを起こす危険性のある国に虐殺や紛争を起こした。なぜならば自分の国に目を向けさせればアメリカや先進国は目に入らなくなるからだ。彼が虐殺の文法を使用しこれらを起こした理由はジョン・ポールの過去にあった。   

  私はこの作品を見て衝撃を少し受けた。どうしてかというと世の中の当たり前を突き付けられたからだ。人間は見たいものしか見ない。確かに人は見たいものしか見ないしそれ以上は求めない。そしてどこかの小さな国で虐殺が起きても誰も知らない、気にしない。こういうことは私達の現実にも存在する。私達の平和的な暮らしは様々な地獄が下にあって成り立っている。こういうことを再確認させられた。今こうして生活をしているのが不思議な感覚である。 

 もう1つ、この作品で気になったのは言葉のこと。映画内では思考は言葉によって規定されないというセリフがある。しかし、本当にそうなのか、私達の思考は言葉によって規定されている所があるのではないかと思った。私達は普段、テレビからの情報をそのまま受け入れて自分の思考に取り込んでいる。学生時代であれば授業中に先生から学んだことはそのまま覚えて私達の思考として定着していく。これは全部、人の言葉で伝わる。場合によって思考が言葉によって規定されてしまうことがあると思った。

 映画を小説と比較してかなり削られているのが分かった。だけどこの作品を映像として見れただけでも嬉しかったから気にならない。でも細かい主人公の心理描写やヒロインであるルツィアを好きになる過程や主人公の母との話等々を知りたい人は小説をお勧めします。

 かなりのテーマがこの作品には散りばめられています。テロ、倫理観、人間の思考、言葉、意識、、、なにが正義でなにが悪かは分からない。ジョン・ポールが悪に見えるけど実は直接的には人を殺めていない、あくまで間接的に。だけど主人公はたくさんの人を直接的に殺してきた。立場は違うのにどこか似ているという対比が良かった。

 小説では主人公が最後にジョン・ポールの約束を受け継ぎ、アメリカで虐殺の文法を使って虐殺を引き起こすのだけど映画は結局、どうなったのか分からなかった。あのあと、どうなったんだろう?

すごくテーマが難しい作品だったけど考えさせられることが多いので見て良かったです。

 SFが好きな人とグロテスクな表現が大丈夫な人と世界の虐殺と紛争に詳しい人にお勧めです。 

 *すべて、自分の勝手な意見や推測です。

 

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